宗教を考えさせられる。日本人は本当に無宗教?

イタリアで生活していると宗教について考えさせられることが多いです。

しかも、イタリア人(だけでなく海外の人)はよく日本人の宗教についてよく聞いてきます。

神道なんかとくに日本人より外国人の方が興味を持っています。

私の旦那も、日本の寺や神社に行くと「ここは神道?仏教?」なんてよく聞かれますが、私自身全く興味はなかったので聞かれても知らないことばかり。

そして生活して思ったのが、「日本人は無宗教と言うけれど、無意識に信仰心がある」ということ。

今回は、宗教の深い話…ではなく、日本人が当たり前にやっていることが実は仏教や神道の教えだった、ということについて。

外国人と関わりのある人は、知っておいて損ではないかなと思います。

 

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私が感じた4つの宗教観

日本では親から子への教育だったり、地域の習わしだったりで、自然と教え(仏教や神道)が伝えられています。

なので漫画やアニメにも当たり前のように生活の一部として描かれています。

例えば、初詣に神社に行って参拝しておみくじを引いたり、某人気アニメでは幽霊として現れたヒロインをどう”成仏”させるか、など。(成仏という考え自体、仏教の考え方です。漢字に仏がありますしね)

日本人にとっては通常の考えなので誰も突っ込みませんが、他の宗教の外国人だからこそ、日本人の考え方に疑問・興味を持つため、やたら聞いてくるのかしら?と今ふと思いました。

 

いただきます

イタリア語で「いただきます」はBuon appetito(ヴォナペティート)とよく置き換えられますが、本当の意味は違います。

appetitoは食欲という意味で、良い食欲を→良い食事を、という意味です。

 

一方、「いただきます」は「ありがとう」という意味が込められていますよね。

ありがとうは、料理を作ってくれた人以外にも、「命をくれた動物たち」「おいしく育ってくれたお米や野菜などの作物たち」という意味が込められています。

キリスト教は強いて言えば「食べ物を与えてくれた神よ」という考えはあっても、動物や作物に対して感謝の教えはありません。

「ごちそうさまでした」も同じです。

ご飯を食べ終わったあと「ごちさうさまでした」と言い、作った人に対しても「ごちそうさま」と言いませんか?

イタリアは作ってくれた人の感謝はしても、食べ物に対しての感謝はしません。

 

物に命が宿る

歯ブラシなど使ったものを捨てるときには、「ありがとうございました」と感謝することを親から教育された日本人は多いんじゃないでしょうか。

これも仏教の教えで、キリスト教には物に命が宿るという考え方はありません。

なんだか寂しい気がします。そう思った時点で、やっぱり無意識に信じているんでしょうね。

 

もったいない

もったいない(MOTTAINAI)、という言葉が世界的に広まったのをご存知ですか?

私はそのエコバックの色やコンパクトさが好きで何個も買って持っていました笑

これも日本人の精神で、仏教の教えです。

イタリア語でもsprecatoと言いますが、日本人のモッタイナイ精神とは少し違う気がします。

 

前世・生まれ変わり

日本人はよく「前世は~だった」「生まれ変わったら~になりたい」など、何気なく使いますが、キリスト教には「輪廻」という考えはありません。

死んだらそれで終わりです。

「私、絶対前世は猫だったと思う」なんて使ってしまいそうですが、イタリア人にそう言ったら話題は宗教へ移動するでしょうね笑

(それが良い話題かどうかは相手によるでしょうが笑)

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その宗教徒になるには

カトリック

カトリックに入信するには?

イタリア人の多くはカトリックですが、私が結婚するとき、お互いがキリスト教徒でないと教会で式を挙げられないらしく、私たちは市役所で挙げました。

参考:私のイタリアで結婚式

日本人は無意識に信仰しているだけで、(しかも神道や仏教が混じっている)、とくに何も証拠や規制はありません。

しかしキリスト教は、生まれた時に洗礼を受けたり、名簿みたいなのもあるみたいで、ちゃんとしている?みたいです。

 

神道

神道に入信するには?

ちなみに私の家族は神道なのですが、旦那はクリスチャンが嫌いで(一応彼はキリスト教徒ですが、信仰はしてません)、神道になるにはどうしたらいい?と冗談半分で聞かれたので調べてみました。

すると、「毎日神のことを思っていればいい」と出てきましたww

なんて簡単w

 

まとめ

イタリアに住むまで、私は無意識に信仰していたことすら気づきませんでした。

イタリア人の友達に「人は死んだらどうなると思う?」と聞かれて「輪廻を信じたい」と言ったら、やっぱりきみは宗教を信じてるんじゃないかと言われ、「いや、そういうわけじゃないけど」と反抗しました。

でも逆の立場を考えてみたら、キリスト教で育った人たちには輪廻なんて考えはないので、そう言われても仕方ないんだな、と。

 

信仰…というよりは、教育、という方が正しいのでしょうけど、イタリア人も別にキリスト教だからこういう考えをする、という意識は全てにありません。

ただ、日本人のほうが無意識にやっていることが多いので、間違ってもそれが世界の常識だと思わないように知っておくべきなのではないかと思いました。

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