ネギのもっと詳しいプロフィール

私に興味を持ってくださってありがとうございます!

「イタリアに住んだネギ」の管理人ネギと申します。

イタリアに住む夢が叶って、現在イタリアでスローライフを送っている私はそもそもどんな人物なのか?日本でどんな生活を送っていたのか?赤裸々に公開します!

 

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幼少期からアグレッシブな私

小さい頃からわんぱくで、好奇心と我が強かった私。長女です。

赤ちゃん時代は、つるっぱげでやんちゃ。よく「可愛い男の子ねぇ」なんて言われてたんだそうな。

好きな遊びはティッシュボックスのティッシュを散らかすこと。

 

生まれ・育ちは長野県で、両親が離婚するまでは山の麓に住んでいた超田舎っ子なのですが(離婚後、山からちょっとだけおりた)、そんな田舎が大嫌いで「なんで私はこんな田舎に生まれたんだろう」と、保育園児のときから東京に憧れていました。

(結局今はイタリアの田舎に住んでいるわけですがw)

 

小学生時代は男の子と殴り合いの喧嘩をするやんちゃっぷり。

小学校高学年になると、子供たちだけでディズニーランドに毎年行くほど行動力に溢れていました。

 

ネギ、ファッションに目覚める

男の子と喧嘩をする一方で、小学生の頃からミシンに触れたり、料理をしたり、女子っぽいところもあった私。

絵を描くのも得意で、同級生からは「意外だね」とよく言われるぐらい繊細とは思われてなかったらしい。

小学校低学年までは、7代目のおさがりを何の疑問も持たずに着ていた私ですが(8代目は妹)、高学年のクラス替えでオシャレで可愛い子と仲良くなり、その子の影響でファッションに目覚めたのです。

 

中学に上がってもやんちゃっぷりは健在で、家庭訪問日でもないのに担任教師が家に訪問に来たり、よく母を困らせていました。

しかし中学後半になると私は猛勉強を始めたのです。理由は制服なしで自由度の高い進学校に通いたかったから。

勉強の甲斐あって、志望校に進学できました。

 

志望校に進学するが、バイト三昧

念願の高校に入学したものの、勉強はほとんどしませんでした。

私の中で次の進路はすでに決まっていて、そこは成績を必要としなかったのと、「高校までは面倒みるけど、そのあとは面倒みないから」と母に言われていたので、勉学よりもアルバイトに力を入れていたのです。

出席日数はギリギリ、テストの成績もギリギリで、先生たちをヒヤヒヤさせながら現役で高校を卒業しました。(私の中では計算通りだった)

そして卒業後は1年間、資金を貯めるためアルバイト生活。

 

田舎娘が都会にのまれる

みんなと1年遅れで東京の服飾専門学校に進学しました。

1年遅れとは言え、そこには海外からの留学生や、大学を卒業してから入学した人もいたので、年齢はさほど関係ありませんでした。

やっと憧れの東京に住めた田舎育ちの私は、そこからどんどんと東京に染まっていきました。

歌舞伎町の居酒屋でアルバイトを始め、歌舞伎町の黒人やホストと仲良くなったりして交友関係が広くなり、お誘いがあれば積極的に参加していきました。

(クラブは好きじゃなかったのでいわゆるパリピというよりは、アングラな付き合いが多かった)

しかし同時に学校の皆勤賞も狙っていた私は、朝まで飲んでも絶対学校をサボることはせず、朝9時には教室にいました。

課題が多い学校でしたが、手先が器用だったおかげで課題を持ち帰ることなく学校で終わらせ、放課後はアルバイトに行き、バイト後は朝まで遊んだり。

今思うとすごいエネルギーw

 

海外に興味を持ち始める

20歳から海外旅行に学校の友達と行くようになりました。

初めての海外はフランスのパリ。

初めてなのに、若さゆえにツアーではなく完全フリーの海外旅行。

無知のおかげでパスポートの重要性すら知らなかった私は、ホテルにポーンと置きっぱなしにしたり、ホテルの部屋の鍵をかけずにでかけたりなど、今思えば信じられない行動をとっていました。

幸い盗まれたり、危険な目にあったりはしませんでしたがw

 

その約2年後に行ったのが、イタリア。

親切で陽気なイタリア人に触れ、イタリアに住みたい!という夢ができたのです。

パリ旅行では、「海外旅行には興味あるけど、文化の違いが怖いから住みたくはない」と思っていました。中国・UAE・カンボジア・モナコにも行きましたが、後にも先にも住みたいと思ったのはイタリアのみです。

 

念願のデザイナーに就職

卒業が迫ってもなかなか就職先が決まらなかったのですが、卒業式の1週間前にやっと内定が決まりました。

しかし、これが人生の最大のミスと今でも思っています。

念願のアパレルデザイナーに就職できたのですが、きらびやかな肩書とは裏腹に、実際にはつまらない仕事でした。

一から自分のデザインした服を作るのではなく、売れている服を購入しては、そのまま仕様書を書き工場に発注…。

またアパレル業界は給料が低く、残業代なんて出ないブラックが当たり前の業界です。(見込み残業とかゆう意味不明なやつ)

だけどそれはわかっていた上で就職しました。学生のうちからインターンなどをやるにつれ見えていたので、アパレルとはそういうものだと既に諦めがついていたのです。

 

私にとって辛かったのは、仕事内容よりも人間関係。

年齢層が高い職場で、悩みを共有できる同期または年の近い先輩はおらず、アパレルにも関わらず新しいものを受け入れられない頭の凝り固まったおじさん・おばさんばかりの職場。

一番の原因は折の合わない直属上司で、ストレスで全身がかゆくなることも。(でもどこがかゆいのかわからない。かいてもかいてもスッキリしない)

私は就職して2年半でこの仕事を辞めました。

今でも、この2年半は無駄にしか思えず、正社員という変なプライドを植え付けられ、今後苦しむことになりました。だったら就職せずにもっと早くからイタリアに行っていれば良かった。

 

ポールダンサーに転職

デザイナーの仕事を辞める前の話に戻りますが、実はポールダンサーのセカンドワークもしていたのです。

ポールダンスショーを見る機会がたまたま多かった私は、「かっこいい!」と憧れていたところ、ポールダンサーと知り合い、その方のレッスンを受けていました。

いつからか、昼はデザイナー職、夜はポールダンサーと二足の草鞋を履いていたのです。

と、同時に就職してからイタリアへの夢も諦めきれず、かと言って学校に通う時間がなかった私は、昼休憩や仕事後に喫茶店でイタリア語を独学していました。

昼の仕事をしつつあいた時間でイタリア語の勉強、週末の夜は六本木で朝の3時まで踊る…という生活をこなしつつ、イタリア人と知り合うべく外国人バーにも通ったり、友達からの誘いがあれば積極的に参加していました。どこで縁が落ちているかわからないしね。

デザイナーの仕事を辞めてからは、昼間は友達のお店でバイトをし、夜はポールダンサーとしてほぼ休みなしで働いていました。

その代わりまとまった休みをとってはイタリアへ行くという生活をしていました。

 

イタリアに住む夢が叶う

そうやってイタリアに何回か滞在していたときのこと、今の旦那と知り合ったのです。

旦那との出会い~遠距離恋愛~結婚について詳しくは「意外とできた国際遠距離恋愛-前編-」をどうぞ。

彼とは遠距離恋愛を1年経て、結婚のためイタリアへ移住しました。

イタリアへ住むんだ!と何年も親や友達に公言していた私の夢は叶ったのです。

「なんだよ結婚かよ」と思う人もいるかもしれませんが、イタリアに足を運んでイタリア人の友達を作って、日本に住みながらイタリアで恋人ができたのです。全ては行動のおかげです。

 

現在と今後

常に目標を持ってアグレッシブに活動していた私ですが、イタリアでのんびり暮らしているうちにアグレッシブさは徐々に薄れつつあります。

というか、根が真面目な私はずっと自分の首をしめて生きてきました。それゆえ、とにかく行動しなきゃ!と思ってアグレッシブだった節もあります。

だからこそ焦らずゆっくり自分のペースで過ごせるイタリア人に憧れていたので、ある意味望み通りになりました。

 

これからの目標はイタリア語をもっと上達させて、いつか日本でイタリアの食材店や、イタリア語教室など、イタリアに興味のある人のための仕事ができたらいいなと思っています。

このブログはその第一段階です。

これらもイタリアの情報を発信していくので、よろしくお願いいたします!

 

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イタリアに住んだネギ

コメント

  1. 60歳、5人の子どものいる…といっても皆親元を離れ今は二人暮らし(北海道)の男子です。趣味のイタリア語学習歴約10年です。毎年検定を受けて現在2級まで来ました。数年以内に(体力・気力・知力があるうちに)1級とりたいと思って、ほぼ独学しています。住んでいるのは函館の隣の七飯町(もちろん知らないと思います)です。
    イタリアには7回いったことがあります。今年も行きました。ボローニャに我が家にホームステイしていた子ども(といってもすでに22歳ぐらい)が住んでいて、そこに2泊しました。アブルッツオ、マルケには行ったことはありません。行きたいと思っています。
    ネギさんのブログは1ヶ月ぐらい前から時々見ています。今回の(赤裸々な?)自己紹介を読みネギさんにコメントを書きたくなりました。
    ネギさんのブログはとても役になっています。イタリア語学習、イタリア文化、そして将来のイタリア観光に役立ちそうです。
    続けるのは大変かと思いますが、これからも楽しみにしています。

    • ネギ ネギ より:

      コメントありがとうございます!そしてめちゃくちゃ励みになります(´;ω;`)
      イタリア語検定2級…すごいですね!!そして1級の志も素晴らしいです!
      函館の隣町ということは、やはり雪国ですよね?!アブルッツォも、私の出身長野県も、雪がよく降ります。アブルッツォは海も山もあるので夏来ても観光客が多いですが、雪が降ったあとのグランサッソ国立公園は本当に素敵です。春秋も素敵ですし、いつか来てください!
      ちなみに私も60歳越えのアブルッツォ旅行中の日本人の女性と知り合いました。海外旅行好きな人はみんな元気ですね!
      ブログ、まだまだ続けてきますよ!多くのイタリアファンの方に届けばいいなと、邁進しております。

      • 杉山元 より:

        ネギさん、こんにちは。こちらは23日午前0時です。昨日が初雪で、今晩はしっかりと降っているので外は真っ白です。グランサッソ国立公園きっと行きます。おやすみなさい。

        • ネギ ネギ より:

          もう初雪ですか…。いやもう11月終わりですもんね…。こちらはまだ雪ふる様子はありませんが、暖炉はつけ始めました!去年は暖冬でしたが、今年はどうなるかな。

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